赤毛のアンの家 Y・U様

輸入住宅を求める人の中には、海外生活経験者も少なくない。西軽井沢の『赤毛のアンの家』に暮らすU夫人もその一人。家族で過ごしたカナダやイギリスでの幸せな日々が、ささやかな形となってこの家に投影されている。そして、その思い出が現在進行形の幸せと結びついた時、この家が理想の「終の棲家(ついのすみか)」となってゆく。

人生の原点とハイライトを象徴する家

U夫人が元外交官のご主人と『赤毛のアンの家』で二人暮らしを始めたのは2007年の6月。「リタイア後は田舎暮らしをしたい」というかねてからの希望を叶える形で、首都圏のマンションを引き払って軽井沢エリアへ移住した。

夫妻は共に北海道の生まれで、大学進学と同時に上京し、結婚。2人の子供をもうけた後、最初の海外赴任地のビルマ(現・ミャンマー)へ渡った。現地で三男が生まれ、日本を挟んで今度はカナダの首都、オタワへ。その3年間のカナダ時代に、家族旅行でプリンス・エドワード島の本物の『赤毛のアンの家』を訪れている。その後、イギリス・ロンドンでも3年間を過ごした。

「ビルマ、カナダ、イギリス、それぞれに思い出がいっぱい詰まっています。カナダ時代は私たちもまだ若かったですし、子どもたちは元気盛りの小学生。天真爛漫にのびのびと過ごしたという意味では、家族が最も輝いていた日々かもしれませんね」

そうした人生を振り返れば、リタイア先を選ぶ際に軽井沢に行き着いたのはごく自然なことだった。生まれ故郷の北海道やカナダに似た冷涼な気候。そして、今も家族旅行の楽しい思い出と共に蘇るプリンス・エドワード島の心地よい風景。「軽井沢の赤毛のアンの家」は、夫妻の人生の原点とハイライトを象徴する家なのだ。庭には既に独立した長男、次男、三男をイメージした3本の木を植えた。

終の棲家に

「夫は『家にいる時は何もしない』のが趣味のような人。だから、夢の田舎暮らしと言っても、特別なことは何もないんですよ」と、U夫人。唯一の新しいチャレンジは、入居からちょうど1年目に、犬を飼い始めたことだった。ゴールデン・レトリーバーのマリー。カナダとイギリスにゆかりのあるこの犬種を選んだのは偶然だったが、その天真爛漫な性格はカナダ時代の子供たちを思い起こさせる。特にやんちゃ盛りの子犬時代は、静かなリタイア生活に活気を注入するのに十分すぎるほどの存在だった。

その新しい家族との絆も深まり、5年が過ぎた春先、ご主人が病気で亡くなった。77年の生涯は、短すぎず長すぎす。長い闘病生活に苦しむこともなく、「ああ、面白かったなあ」と人生を振り返った。「本人なりに、この地で人生をしっかりと完走できたのではないでしょうか」とU夫人は言う。

自分自身、マリーと二人になっても、ここを動くことは全く考えなかった。「お友だちもたくさんできたし、ちょうどいいペースの暮らしを楽しんでいます。寂しくはないですね」。どちらかと言うと孤独を楽しむタイプのご主人に対し、社交的なU夫人。移住後、フォークダンスやパンづくり、生花などのサークルに積極的に参加し、交友関係は広い。近辺に移住したり別荘を持つ親類や海外時代の友人も多く、U夫人のスケジュール帳はしっかりと詰まっている。

「主人ともここが終の棲家だとずっと言っていたんです。体はまだまだ元気。今、本当に幸せなんですよ」

充実した日常に感謝

一日2回のマリーとの散歩が日課。庭には「子どもたちの木」を取り囲むように、バラなど四季折々の花が咲く。都会暮らしではかなわなかったささやかな庭。ガーデニングも板についてきた。

外出しない日も、庭仕事や台所仕事に精力的に動きまわり、ボーっと休んでいることはほとんどない。「私の世代の女性はみんなそうじゃない? じっとしているよりも動いていた方が楽」。「何もしない」のが生きるペースだったご主人に対し、趣味に仕事に手を抜かないのがU夫人のマイペースなのだ。

そんな”お母さん”を、マリーはいつも笑顔で見守る。「ママは結構忙しいのよ」。額に汗を浮かべ、マリーにそう話しかける時、U夫人は現在(いま)が充実していることに感謝する。

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